量子力学の不完全性: 「量子を誰も理解することはできない」 これは人類の中でも特に優れた知性を持っていた人物の一人であったリチャード ファインマンの言葉だ。現在、量子力学は世界中の物理学者に受け入れられている。しかし同時に量子は理解し難いと考えている学者も多いだろう。それはファインマンのこの言葉が啓蒙力として少なからず影響しているのかもしれない。理解し難いとは考えても、量子力学が量子を記述している理論として不十分だと考えている学者はほとんどいないだろう。それはこれまで量子力学の予言と食い違う実験結果が示されたことが皆無であることから、この理論に疑いの余地を見出せないことの表れだろう。しかし理論が自然を「正確に」記述しているということと、「完璧に」あるいは「全て」記述していることとは同義ではない。これは優れた理論ほど見落とされがちなポイントであることを歴史が物語っている。25歳のアインシュタインが特殊相対性理論を一人で構築した時、その理論を理解しその整合性を受け入れた物理学者の中で、その理論は「不十分である」ことに気付いたものはいなかった。当のアインシュタインだけが気付いていた。アインシュタインが一般相対性理論の構築に取り掛かっていた時、誰も競争相手はいなかった。途中で乗っかってきたものはいたが、アインシュタインと独立に重力場の理論構築を始めたものはいなかった。同様に、量子力学にも見落とされている不十分な点がある。量子力学では、量子の波動性を記述しているだけで、どうして観測すると粒子性に切り替わるのかを記述していない。よって、量子力学は物理体系としては一部の隙も無く正しいのかもしれないが、量子の性質の全てを記述しているわけではない。「量子を誰も理解することはできない」のは、「人類はまだ量子を記述しきれていない」からなのかもしれない。ただし量子を記述し切れる理論を人類が手に入れられるかどうかは疑問だが。
観測の本質: 量子は誰も見ていないところでは波。観測すると粒子性を示す。観測とは何か。その本質は粒子と相互作用する事であると考えるのが普通だろう。しかし量子の異常性は、それすら否定する。観測には、量子が通るのを見なかったということも含まれるのだ。二重スリットの実験において、二つのスリットの片方にだけセンサーを付けたとする。もしもセンサーとの相互作用で初めて干渉波が消失(=波束が収縮)するのだとしたら、量子はセンサーに捉えられるまでは両方のスリットを通ると考えられるからスリットを通る量子は必ず片方にだけ取り付けたセンサーに感受されるはずだ。つまりセンサーのない反対のスリットを通る量子は無くなるはずである。しかし実際は半分ずつ両スリットを量子は通過する。さらに半分はセンサーのない方を通り、しかも干渉波も消失する。つまり半分はセンサーとの相互作用がなくても波束の収縮が起こっているということになる。これを因果律に従って説明したヒトはこれまでいなかった。前述のようにファインマンでさえ諦めた。私はここに一つの仮説を提示する。
仮説1 波束の収縮は量子の粒子性との相互作用ではなく、波束との相互作用で起こる
この仮説は暗に「波束の収縮はゼロ時間で起きるのではない」ということを含意している。もしゼロ時間で起こるとすれば、粒子性との相互作用を否定することに意味がなくなる。なぜならゼロ時間で起こるということは、波束との相互作用と同時に粒子性との相互作用が起こるということと同じことであるからだ。
ニュートン物理学によれば作用と反作用は同時に起こる。しかし量子レベルでは同時ではないと考える。これによりファインマンが悩んだ量子の奇妙な振る舞いの一部は説明可能となる。つまり量子は波の状態で必ずセンサーを感知する。(反対にセンサーは量子波動を感知しない。)その後に波束の収縮が起こる。センサーが感知するのは、センサーの感受範囲内で波束が収縮した時だけ。波束の収縮がセンサーがない方のスリットで起こった場合、センサーは作動しない。つまり量子はセンサーを必ず感知するが、センサーは半分の確率で感知できない場合があるという事。そしておそらくこの波束によるセンサーの感知と、それに続く波束の収縮の時間的ズレは最小でも1プランク時間と予想される。
シュレーディンガーの猫: 密閉された空間において、放射性同位元素の崩壊をガイガーカウンターが検知すると致死性の毒が散布されるシステムを構築する。その中に猫を一匹閉じ込めておく。放射性同位元素が崩壊と未崩壊の重ね合わせの量子状態にある時、猫も生と死の重ね合わせ状態にあるかどうかという問題。私の説に従えば答えはシンプルである。猫は量子状態にはならない。同位元素の量子状態はガイガーカウンターを作動させない。量子がガイガーカウンターを感知し、さらに波束の収縮により崩壊か未崩壊かどちらかの状態へ遷移して初めて猫の運命が決まるだけだ。多世界解釈の出る幕はなくなる。
波束の収縮とダークマター: つまるところ波束とはなんなのか。同時に複数の状態にあることと考えれば、この状態は相対論でも登場し得る。事象の地平である。ブラックホールを形成するような強力な重力場では事象の地平が形成される。そこでは外の観測者から見れば、時間は停止している。停止した時間の中、つまり事象の地平にいるものにとって、外の観測者は同時に複数の状態にあると認識されるはずだ。ただし重ね合わせとして見ることはできないが。事象の地平に入ったものは光さえも後戻りはできないが、仮に後戻りできたとして、どの時間に戻れるかは全く分からない。この点で、事象の地平から見た我々の状態は量子状態と非常に似ている。また逆に、事象の地平自体は外部の観測者から見れば、時空間的に潰れている。と言うことは、事象の地平にいるものは事象の地平のあらゆる場所に同時に存在していることと同等である。事象の地平が事象の地平でなくなったときに、ある特定の場所に現れる。まるで量子の波束の収縮の如くに。もしかしたら量子状態も時空の性質からきているのかもしれない。つまり量子状態とは、本来は粒子であるものとの間の非相互作用的関係、別の言い方をすれば何か時空間の断裂の様な状態にある関係なのかもしれない。とすればもしかしたら量子状態はダークマターと関係があるのかもしれない。